羽生結弦選手の今心にあることを激白の最新インタまとめ!

10日の夜はテレ朝系

「帰れマンデー見っけ隊!!3時間SP」により

サンドウィッチマンさんがゲストと共に

宮城県の石巻市と南三陸町へ。

そして石川県の能登半島を訪れる旅でした。


まず、サンドさんたちが訪れたのは石巻。

サンドさんは観光大使を務めることから

絶品グルメを次から次へと紹介します。


サイコロでメニュー決め「麵」が出たので

石巻の白身魚のあらスープを使った

珍しいラーメン「あら~麺」を食べ

さらに、石巻市の名物である

「石巻焼きそば」を食べてました。


次に、サンドさん一行は南三陸へ移動し

“世界一おいしい”という

「マドレーヌ」「バームクーヘン」「たこわさ」と

宮城の絶品グルメを食べ尽くします。


いずれも、とても美味しそうでしたけど

確か「石巻焼きそば」は羽生結弦選手も

お店で食べたことがある記憶…


魚介のだしのうま味と玉子が

決め手となる焼きそばらしいので

これは食べてみたいですね~♪

羽生結弦選手の好きなカップ焼きそば東北の支持率は?



昨日は3月11日だったことから

東日本大震災から14年になりますので

羽生結弦選手から心のこもった

大切なメッセージが届きます…

こちら公式Twitter  公式Instagram


そして、スポーツ報知はアイスショー

「東和薬品 presents羽生結弦 notte stellata 2025」を

終えたばかりの10日にも仙台に留まり

羽生結弦選手の単独インタビューをおこなう模様。


いつもながら高木恵記者による

とても、いい内容でしたから

特に印象的だったところになります。

参考にしました前編記事  後編記事



「2011-12年シーズンの時に

葛藤はいろいろあったはあったんですけど

そのシーズンの最後の世界選手権で

どれほど応援の力というものが

僕にかかっていたのかっていうことに改めて気づけて。

その時から、僕はこんなに応援されているんだ

って思えたことが、逆に僕が応援したいんだ

って思えるきっかけになったんだと思うんですよね。

被災地の人間として、こんなにも応援してもらえている

からこそ、僕は被災地のことも

より近場で感じられていたからこそ

より一層、僕自身が応援する立場になりたいな

って思えていることが根幹だと思います」


「東日本大震災の時に、ボランティアで

石川から来てくださった方々に対しての

恩返しで、能登にボランティアに

行ってくださっている方もいらっしゃいます。

それと同じような気持ちもあります。

やっぱり、たくさんの方々が3.11に対して

いろんな思いを抱いてくださって

応援をしてくださったからこそ

他の地域でいろんな災害が起きた時に

応援したいっていう気持ち

恩返しがしたいっていう気持ちは強いです」


「僕の演技の中に、それが含まれていないものって

もうないんだなっていうことは思っています。

どんなプログラムをするにしても

(アイスストーリー『Echoes of Life 』で演じた)

“Utai”みたいなものだったとしても

常に何かしらの、魂への対話じゃないけど

祈りと、魂に寄り添うこと

何かの悲しみに寄り添うことは、ずっとしています」


「背負い方でいうと、1年目は重さで背負っていた

というか。寄り添うとはどういうことか

ということにおいて、悲しみに近い寄り添い方をしました。

でも2年目は、悲しみに寄り添えているからこそ逆に

自分が笑っていなきゃいけないよね、って思って頑張りました」


「(今年の)3年目はもう、ほとんど神事だったので。

魂の方に寄り添うということと

祈りというものに対しては、かなり強くなりました。

背負い方と向き合い方と受け入れ方が

変化していると思います」


「萬斎さんがいたからそこまで締まったっていうのは

もちろんあるとは思うんですよ。

仲間たちが『やんなきゃね』って思った

というのもあると思うんです。

萬斎さんという存在が会場でのリハーサルで

(演目を)通したときに、僕らは初めて

『MANSAIボレロ』というものを一番近い場所で見て。

祈りというか、滑る時の覚悟みたいなものが

一段階上がったような気はしました」

野村萬斎さま! 公式Twitter画像 ※要スクロール


「僕は、スケートとか、表現とか

このような震災のことに関しては

特に、すごく力を入れています。

魂から滑り切りたいっていう思いが強くあります。

それを今回のメンバーが一緒にやってくれたことが

すごくうれしかったんです。

魂ごと、全精力を注いで、ものをつくってくれる

何かを表現してくれる、パフォーマンスをしてくれる。

それを今回みんながしてくれたことが

本当にうれしかったし、より一体感が生まれて

良かったなって、思っているところです」

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さらに昨日は、東京スポーツの

中西崇太記者のネット記事も良かったので

そちらでも羽生結弦選手は単独インタビューに

やはり答えてくれてます。


『僕は震災後のシーズンからどちらかというと

被災地で頑張っているスケーターとして

すごく注目をされることもあり

今みたいに被災地を応援する側じゃなくて

応援される側の人間だったんですよね。

競技を続けるにあたって、ずっと「頑張れ」

と言ってもらえる存在ではあったのですが

「頑張れ」と言ってもらえる存在であったからこそ

「頑張れ」が持つ力をすごく知っているので

だからこそ僕が言い続けたいと思っています。

この14年間でずっと「頑張れ」と言ってくださった方々

そして震災で苦しかった思い、3.11だけじゃなくて

今現在つらい思いをされたり

心が折れそうになっている方々に向けても

「頑張れ」と希望を感じてもらえたらな

という気持ちでいます。』


『背負いすぎていると思われてしまっても

しょうがないくらい背負っていたな

とは思うんですけど…。

でもちゃんと背負って向き合わないと

全ての方々に希望を届けられないと思うので

僕はちゃんと背負わなきゃいけないなと思っています。

目をそらすのでもなく

ただ楽観的に受け取るのでもなくて

ちゃんとつらいことはつらい

悲しい現実があったことも確かなので

それはちゃんと受け止めた上で

今自分はどう生きるのかというのを

その時々で感じながら演技をしたいなと思います。』


『僕が生まれて1か月後くらいに

阪神淡路大震災(1995年1月17日)が起きました。

大変な思いをされた方々が30年たった今でも

「こうやって復興したんだよ」と伝えてくださっていて

そこから立ち上がってきてくださった方々の力強さに

勇気をもらったりもしているんですよね。

だから僕は、東日本大震災を16歳という年齢で

体験したからこそ、継続的にずっと訴え続けることによって

僕が阪神淡路大震災から立ち上がった方々の

絆や力強さに勇気をもらったように

そういう発信をしていけたらいいなと思っています。』


『継続ということが、どれだけ力があるかということを

僕はこの30年という人生の中で

たくさん感じてきました。

どんな形でもいいから、いろんな支援活動や

寄付活動を続けていきたいなと思っています。

またそれらの活動を通して、震災のこと

現在起こりうる災害のこと、防災のことについて

考えるきっかけとなる存在になっていけたらいいですね。』

参考にしました詳細記事こちら!


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